こんにちは、株もっちーです。
火曜日は、節約ネタの日です。
ストア派の考えに共感することが多い
経済的自由という目標ができたことにより、私の生活態度は一変しました。
お金の使い方で浪費を避けるというのは当然なのですが、 デジタルミニマリストに共感してSNSなどを急にやめたり、オートファジーで食事間隔を空けたり、 マインドフルネス的な活動をほとんど毎日欠かさず継続したりしています。
これら、私が共感する本に引き合いに出される哲学者セネカは、ストア派とよばれるようです。
ある時、あまりに私の行動習慣が変わったからか、妻から「ストイックすぎる」と言われました。
ストア派、ストア派的な行動がストイックの語源となったようです
私はストイックな性格なのだろうか
私としては、単に目標に向かって近づくような行動をしているだけであり、 特に禁欲的にしているわけではないんですけどね。
まさに、以下の文章にあるとおりでしょうか。無意識的な欲望に任せた行為を減らすことが浪費を避ける行動となり、結果として、禁欲的に見えるのでしょう。
「禁欲的」という意味の「ストイック」もストア派が起源の言葉です。しかしストア派の「禁欲主義」は現在の「ストイック」という言葉から連想する禁欲とはニュアンスが違います。欲望を禁ずるのではなく、欲望からの脱却を目指したのです。
妻が働くのは、生活のためではなく社会的接点を持つため
だそうです。
これは、「経済的自由を達成して、生活するお金のために働くのを辞めたい」という私の考えに対する妻の意見でした。
まあ、生活に必要なお金はほぼすべて私が支払っていますからね。
私が仕事をやめたら、住宅ローンの支払ができなくなり、生活するお金のために働くという気持ちがわかると思います。
「自分の代わりにローン払う?」と言うと「いや、無理だとわかって言ってるんでしょ」とのこと。
ちょっとそれでは、私の気持ちは理解できないでしょうね。
「仕事をやめてどうしたいの?」という妻の問いかけに、私もうまく説明できませんでした。
他人のためというか、会社の計画を効率良くすすめるために、色々立ち回るのではなく、自分のための仕事がしたいということなので、
「ブログでも書いてちょっとしたお金を得て、自由にでかけたりして過ごしたい」
というと、「そんなに甘くないでしょ。」という返し。
「いや、経済的自由を達成したあとの話なんだから、今の稼ぎ額は関係ないし、甘いとかそういう話ではなくて。例えば1億円資産があれば働かなくていいでしょ?」
「うーん、よくわかんない。何で働きたくないのか。」
うーん、通じないですね。
まだ定年まで働くのが当たり前だと思っているんでしょう。
「ライフ・シフト」とか、 「お金の大学」とか、 いろいろわかり易そうな本も紹介しているんですけどね。
まとめ
経済的自由を目指すことは、仕事をやめることとイコールではありません。
経済的自由を達成すれば、私が働く理由も妻と同じように「社会的接点の維持」になるかもしれません。
このあたり、会話が噛み合わず、まだ妻に理解されていないようです。