感想OUTPUT:エマニュエル・トッドの思考地図 を読んだ感想

こんにちは、株もっちーです。

水曜日は、自由に色々記載していこうと思います。

読書OUTPUTっぽい、銘柄チェックのような、自由テーマの記載になります。

読んだ本:エマニュエル・トッドの思考地図, エマニュエル・トッド (著), 大野舞 (翻訳)

よくブクマコメントを頂いている、そしえて・のわーる( id:bifum ) さんのブログでエマニュエル・トッドというのが気になって読んでみました。

気づいたこと

データに基づく歴史解釈

哲学的なお話かなと思って読み始めたら、「私は哲学者ではありません。歴史人口学者です。」ということでした。

出生率とか乳幼児死亡率とかがよく言及されていますが、そういうデータを元に歴史的な背景を解析し、何らか結論づけるようなお仕事をされているようです。なんか面白そうですね。

歴史教科書問題とか、歴史を書く人の思惑がどうしても入ってくるでしょうから、そういうのを排除してデータで語ろうというアプローチは筋の良い方法だと思います。ご本人は、それで真理を言い過ぎて、暴かれたくない人たちに反発されることも多かったようですが。。

ファクトフルネスに通じるところがあるのかなと思いました。

思考とは手作業

この前、娘の学校のミーティングに参加したのですが、そのときに哲学の先生言っていたことに私はとても感心し、共感しました。彼女は、なぜ手書きを推奨するかということを説明していました。現代社会では誰もがコンピュータでタイピングします。コンピュータで書いたことというのは、切り貼りが何度でも簡単にできてしまいます。しかし、手書きの場合は、書き始める前に考えなければいけません。だから、思考は手仕事なのだと彼女は言うのです。本当にその通りだと思います。

一文字づつタイピングするなら、それはタイピングする前に考えているんだけどな、と言う違和感を持ちました。が、まあ言わんとすることは伝わった気はします。

色々かんたんにコピペできますからね。コピペで文章を作るような作業では、手書きで得られる考える作業が省略されてしまうと言うのはありますね。

あとは、予測変換でしょうか。これも早く文章を書けるようでいて、考える時間が減ると言うのはあるのかもしれません。。

日本語の場合は漢字ですね、たまに手書きをすると漢字が書けなくなっていることにショックを受けます。

モーニングノートに毎朝色々手書きで書いているのですが、漢字が出てこなくて多分間違った漢字や、ひらがなでやり過ごしたような形跡がたくさんあると思います。

まあ、そういう事に気づいて、漢字なんてかけなくてもそんなに困らないな、と思ったりしてますね。ブログに書くときはパソコンでタイピングしますからね。漢字が読めればいいです。

フォーマット化される知性

これまでは大学というのは、精神の解放、知識へのアクセスを可能にしてくれるものでした。しかし今や大学の卒業の資格は、その後どれだけ稼げるかというくじ引きへの参加権を得るためのものになってしまいました。
今日の大学というのは、いかに大変な勉強をしているのかを確認し、順応主義を生み出すところになっているのです。
そして、そこにうまく適応できたというだけの人々が大量に社会に生み出され、彼らはお互いを監視しているのです。フランス社会では、中流階級の人々を選別する場が大学なのです。しかし、大学には行かない社会の3分の2の人々にも頭のいい人たちがいるというのは、せめてもの救いです。彼らのことを頭がいいと言うのは、その考え方が自由だから、解放されているからです。大学では知性がフォーマット化されているのです。今日の大学というのは、どの道に行くべきかを学生に教え込むだけですから。大学では確かに思考することを学べますが、同時に、自由に思考することを阻止するのです。

いやー、なかなかまっとうなことを言っているなと、大学を卒業して10数年たった今思いますね。

大学というより、新卒で就職するということが当たり前というか、そうしないと良いくじが引けないと思い込んでいました。

大学時代は、自由に思考することができた良い期間だったと思います。

GDPに対する違和感

これについても言及されていました。私もなんとなく変な感じはしていたのですが、トッドの視点ではこう書かれています。

この指標というのは、電車や自動車、冷蔵庫、洗濯機などの生産を積み上げるかぎり、結果としてはある程度の真実味を帯びたものになっていたのです。なぜならば、そのころはまだ、商品価格がコストを踏まえて設定されるという流れ自体が、比較的道理をわきまえたものだったからです。
ところがサービスの経済化が進むと、価値の非ー物質化が起きます。それはたとえば、弁護士が想像を絶するような高額をアドバイス料として求めると、それもGDPにカウントされるというようなことからもわかります。ちょっとした診察に高額を支払わされるのも同様です。これも結局GDPに入るわけです。

それだけ需要があるから高くても売れるという市場の原理的なこともあるでしょうが、金銭的な価値が大きければ良いという単純なものではないんでしょうね。

行動したこと

やはり事実を元に判断をしていくというのは重要な要素だと思いましたので、なるべく一次情報をあたったり、人の意見を何も考えずに拡散するような行動はしないようにします。

いままでそれは気をつけてきたつもりではありますけどね。

それは、あなたの意見なのでしょうか?というようなことがあれば、お気軽にコメントなど頂ければと思います。

まとめ

第三次世界大戦はもう始まっている という本が流行っているようで、読みたかったんですけど図書館でまだ借りれなかったので、もう少ししたらまた読んでみたいと思います。

まあまったく読んでないので、超適当に思ったことを書きなぐりますが、第三次世界大戦はもはや武力ではなくて経済の支配をめぐる戦いであって、アメリカが中国に抜かれないように仕掛けたゴタゴタにロシアが巻き込まれたというか、そうなってしまったというのが私のざっくりとした理解なんですけどね。最近気になっているのは、インドの台頭ですよね。これを欧米諸国がどう抑え込んでくるのか、その辺りを気にしています。

経済的自由の探求にとっても、この辺の事情は重要な事柄だと思います。