こんにちは、株もっちーです。
土曜日は、ポートフォリオを点検してみたいと思います。
特になければ、自由に何かOUTPUTして、書いていきます。
人間の分際, 曽野 綾子 (著)
色々となるほどなと思うところがありましたので、しばらく取り上げていきたいと思います。
第1希望が実現しないこと
ありますよね。定員が決まっていて、希望者がそれより多ければ、必ず希望がかなわない人がいるわけです。
たとえば、入社試験を受けて、「彼は入ったのに、私は落ちた」みたいな話がよくあるでしょう。私は自分がもし落ちていれば、必ず、落ちたほうがよかったんだ、と思うたちです。
この前、第一志望の会社に就職できなかったという人に合った時、
「その会社にはすごく嫌な奴がいて、入らなかったほうがよかったのよ」
と言いました。(中略)私がその会社に入っていたら将来、何か自分に悪いことがあるだろうという気がする。そして、受かった第二志望の会社に、自分がやるべき任務があったんだ、と受け取るのです。
ふむふむ。
私はそこまでは達観できないですけどね。まあ落ちたのをいつまでも悔しがっていても仕方ないので、諦めが肝心というのはあると思います。
私自身の経験から言えること、その志望動機って本当に自分の望みだったのか?
私自身、大学も、会社も、第一志望ではありませんでした。
まあそもそもその志望の選び方自体が、自分が面白そうだなと思う分野・業界で、偏差値とか世間的なランキングの上位から1,2と決めただけですから、 「本当に行きたいわけでもなかったんだよ」と自分に言い訳をしていたようなそんな諦め方です。
時間がたてば、本当にいい加減な志望だったと思います。
もちろん当時は落ち込みましたけどね。
後から思えば、こんなふうに思うこともあります。
- そんなに頑張って受験勉強しすぎなくてもよかったな
- そんなに頑張って言われた仕事しすぎなくてもよかったな
やっている当時は気が付かないという問題があるのが悩ましいんですけどね。
住めば都になるか、新天地を求めるか
まあ少なくとも自分の興味のあることが勉強できたり、仕事で関われたりしていたわけですから、 楽しいと思うこともあります。
ただやっぱり労働者の時間って、長いですよね。 長すぎて、同じような仕事をしていることに、結構飽きてきたというのもあります。
興味のあることにのめり込む感覚よりも、お金のために仕方なくやるかー、みたいな感覚のほうが強くなっていると感じた時、 「お金をエサに、なんか自由を奪われている」という気持ちが出てきたのかもしれません。
このブログでも少しそのあたりで思ったことを書き出してみました。 遅ればせながら、30代半ばで資本主義社会の構図がようやく理解できるようになり、 40代で経済的自由を探求することが、私の興味を刺激している事柄になっています。
まとめ
というわけで、希望が叶わなかった〜と思って落ち込んでいる方への、慰めにでもなればいいかなと思って書きました。
特に会社選びに関しては、こんな言葉も紹介しておきます。
わざわざ会社の労働者になろうという思考自体に、気づきを与えてくれる言葉だなと思います。
私の場合、うまく行かないから、というよりは、今の道に飽きてきた、窮屈さを感じるようになってきたから、 資本主義社会での最も有利な立ち位置であり、より自由だと考えられる資本家を目指していきたいと思います。
後から思うと、こんなふうに思うのかもしれませんが、今は見えておりません。
- そんなに頑張って受験勉強しすぎなくてもよかった(遊ぶ時間をもっと取れたかも)
- そんなに頑張って言われた仕事しすぎなくてもよかった(リラックスする時間・自分の興味に従った活動にもっと時間を取れたかも)
- そんなに頑張ってお金貯め無くてもよかったな(死ぬまでに使い切れる?)
そんな感じです。