Be financial freedom. 経済的自由の探求

お金に縛られない自由を求めて、お金を増やしていく過程を記録します。

エッセイ:ビットコインと私の不思議な出会い

こんにちは、株もっちーです。

小説も一通り書き終えた気分

ではあるのですが、やはり何か書きたい。

ブログ記事にあるようなリアルなものではなく、フィクションだけどリアルっぽいもの。

というわけで、フィクション風エッセイを書いてみることを思いつきました。

ビットコインと私の不思議な出会い

仮想通貨が儲かるらしい。いや、暗号通貨やクリプトと呼ぶのが正しいのだという。

ただ、私にとっては相変わらず仮想通貨だ。"仮"という字にはどこか夢幻的な響きがあり、儚さと期待が共存している。 だからこそ、この言葉を使い続けることに意義を感じている。

そんな儚い期待の真偽を体験しようと、私はビットコインを買ってみた。 その行為は、まるで見知らぬ地に足を踏み入れる探検家のような心境だった。 だが、そこで直面したのは衝撃の事実。 1BTCの値段が天文学的数字であり、私が購入できたのはほんの0.001BTC。 画面上には数字が並んでいるが、それはあまりに小さすぎて、とても価値があるようには見えない。

これを「買った」と言えるのだろうか? この疑念が胸をよぎると同時に、私の哲学的探究心が目を覚ます。 価値とは何か?所有とは何を意味するのか? 0.00001 BTCというほんの僅かな数字が表す大きさは、幻想の間に漂う霧のように細かいものであるが、現実世界では1ドルの価値を持つらしい。

その倍率は実に10万倍。

感覚がついていかない。例えばベトナムドンでフォーを一杯頼んで3万ドンが日本円にして200円くらいならまだなんとかなるのような気がするが、それでも暗算はつらい。

やがて私は次の一手を探る。ランキングサイトで目にした"草コイン"やアルトコインに目を奪われた。 それらはまるで市場の片隅で光を放つ無名の哲学者のようだ。 "急騰"という言葉が躍り、私は衝動的にそれらを買う。 だが、その光の眩しさは一瞬だった。 価格が急落し、私は損切りを余儀なくされる。 儲けるどころか、財布の中身は風に舞う落ち葉のように散っていく。

これが見知らぬ地を探検するということの意味なのかもしれない。期待通りの場所なんてそうそう見つかるものではないのだ。

この一連の出来事を通じて、私は一つの真理にたどり着いた。 人間の欲望は無限だが、財布の中身は有限であるということだ。 そして、ランキングを眺めるだけの日々が始まる。 それはまるで、天体望遠鏡で宇宙を見上げるような行為とも似ているのかもしれない。 買うことなく、ただ存在を眺める。 それがある種の悟りの境地だろうか。

だが、心のどこかで囁く声がある。 いつか、再びもっと大量に買いたい、と。 その"いつか"が来る日を待ちながら、私は画面を眺め続ける。 そして、気づく。おそらく、眺めているだけでは、その"いつか"という日は永遠に訪れないのだろう。 なぜなら、欲望はいつも理性を凌駕するからだ。

このようにして、私は仮想通貨という不思議な存在に対する欲望に、理性という振る舞いで対峙しながら、自らの欲望と哲学的に向き合う日々を送っている。 ビットコインが何かを変える未来は、私の中で永遠の問いとして輝き続ける。

まとめ

欲望は無限だが、財布の中身は有限。

ビットコインは有限だが、その価値は無限になりうる。

お金の成長に過剰な期待をしてしまうのが、現代の資本主義なのでしょうか。

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