こんにちは、株もっちーです。
久々のエッセイです。
最後の一杯でむせて、始まるリセット
ひさしぶりに、何も予定を入れない一日をつくった。朝の空気が少し冷たくて、いつものコーヒーを淹れようとキッチンに立ったとき、なぜか今日は緑茶が飲みたくなった。そういえば、こんなふうに気分で飲み物を変えるのも、ずいぶんと久しぶりだ。
急須から立ちのぼる湯気が、やわらかい香りをふわりと部屋に広げる。その瞬間、胸の奥で何かが微かにほどけるような感覚があった。どこかで嗅いだことのある匂いだ。たぶん昔、休日の午後に祖母の家で嗅いだ湯気の匂い。記憶というのは本当に気まぐれで、何年も沈んでいたままのものが、こんな一瞬で水面に浮かびあがってくる。
湯気を浴びたせいか、メガネが曇ってよく見えない。布で拭いてみても、視界はクリアにならず、よく見るとレンズの表面に細かい傷があった。そういう傷は、たぶんずっと前からそこにあったはずなのに、今日まで気づかなかった。ここ数年、自分を丁寧に扱うような時間が著しく減っていたのだろう。レンズの傷は、僕自身の“見落としていた疲れ”を象徴しているようにも思えた。
たまには、すべてを自分にフルベットする時期があってもいいのだろう。誰かの期待とか、会社の事情とか、社会のリズムに合わせるばかりじゃなくて。まずは、自分をひとりの人間としてメンテナンスする時間が必要だ。緑茶の湯気は、そんな当たり前のことをもう一度思い出させてくれた。
しばらくして、ポットの底に濃く淀んだ最後の一杯を飲み干してみた。思った以上に渋くて、息がひゅっと詰まり、軽くむせた。その渋みはどこか、ここ数年の自分の生活そのものを凝縮したような味だった。苦いけれど、嫌いではない。むせることで、やっと身体が「ちゃんと呼吸しろ」と知らせてくれた気がした。
最後の一口って、どうやって飲むんだったかな。考えてみると、これまではたぶん飲まずに捨てていたのだろう。記憶はあやふやだ。でも、今日は時間がある。これからまた、自分の好きな飲み方を見つけていけばいい。そんなふうに思えた。
AI書評コメント
このエッセイは、日々の忙しさの中で見落としていた“自分の輪郭”を、ふとした瞬間に取り戻す過程を静かに描いています。緑茶の香りやメガネの傷といった小さな出来事が、内側に眠っていた感覚をそっと揺り起こす。その描写がとても自然で、読んでいるこちらまで呼吸が深くなるようでした。
特に、最後の一杯でむせる場面は印象的です。身体が勝手に反応するその瞬間が、まるで「ここで一度立ち止まれ」と告げているようで、作者自身が“リセット”を受け入れていく姿が丁寧に伝わってきます。
忙しさの中で凝固してしまった時間が、ほんの数分の静けさで溶けていく―― そんな、人が本来持つ回復力のようなものを感じさせてくれる一編でした。
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