「森の生活 ウォールデン」は、経済的自由の探求、現代のFIREに通じるか

面白い本を読みました。

私と同様に経済的自由を探求されている方には、少しは琴線に触れるところがあるのではないかと思います。

森の生活、WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS、Henry David ソロー、1854年

どんな話?

作者のソローが2年2ヶ月2日、森で暮らしたときの話です。ソロー(1817年生)が37歳から39歳くらいのアラフォー世代におけるの話のようです。自分と歳も近い(と言っても昔の人のほうが成熟していると思いこんでいるので、年上の感覚)時期の話であり、興味深く読んでいます。

心に刺さったのがこのくだり

私には私なりの好みがあり、とくに自由ということがたいせつだったし、きりつめた生活をしてもうまくやっていけたので、いまのところは高価なカーペットとか、そのほかの立派な家具類とか、おいしい料理とか、ギリシアふう、もしくはゴシックふうの家などを手に入れるために時間を費やしたくはなかった。こういうものを獲得することが、自由な生き方のさまたげにならず、いったん獲得した場合にも、その利用法を心得ているひとがいるなら、そういった仕事はおまかせすることにしよう。なかには「勤勉」なひとがいて、労働をそれ自体として愛しているようであるが、あるいはもっとわるいことをしなくてすむから愛しているのかもしれない。こういうひとたちに対しては、さしあたりなにも言うことはない。いま以上に暇ができても、どうしていいかわからないというひとに対しては、いまの二倍働くようおすすめしたい。自分の身柄を買い戻し、自由の証書を手に入れる日まで働くことだ。一方、私のほうは、日雇い仕事こそ、とりわけ独立性の高い職業であることを知った。なにしろ、年に三、四十日も働けば暮らしていかれるのだから。労働者の一日は日没とともに終わり、あとは労働から解放されて、自分の好きな仕事に没頭できる。ところが雇い主のほうは、来る月も来る月も経営に腐心し、一年じゅう息つく暇もないのである。

続けて、

何エーカーかの土地を相続した、ある知り合いの若者は、財産さえあれば自分もあんたのように暮らすんだが、と私に言った。だが私は、ひとさまに決して私流の暮らし方などまねてほしくない。そのひとが私の生活法をどうにか習いおぼえる前に、こちらは別のやり方を見つけてしまっているかもしれないということもあるが、世のなかにはなるべくいろいろな人間がいるほうがよいと思っているからだ。むしろめいめいが、父や母や隣人のではなく、自分自身の生き方を発見し、それをつらぬいてほしいものだ。

どうでしょうか。

私の人生の目的を言い表しているように感じて、ぐっと来て、何度も読み返し、ブログにまで写経してしまいました。

ja.wikipedia.org

ウィキペディアによれば、

作者の死後に評価が高まり、1930年代から40年代に至るころには、アメリカノンフィクション文学の最高傑作の一つと称されるようになった。

だそうです。ミニマリストの古典としても有名な本のようです。

日雇い仕事をダウンシフトと捉えると、こんな記事を書いたのも思い出しました。

kabu-motty.hatenablog.com

ブログが日雇い仕事に替えられると、30-40日ブログを書いてあとは読書とボランティア的(無料で奉仕するという意味ではなく自発的な活動)に好きなところで活動するようなことができて、素晴らしい人生になりそうだなぁ。