感想OUTPUT:OPEN:「開く」ことができる人・組織・国家だけが生き残る を読んだ感想

こんにちは、株もっちーです。

金曜日は、本などのINPUTした情報に対するOUTPUTをしていきたいと思います。

要するに読書感想文的な活動ですね。

読んだ本:OPEN(オープン):「開く」ことができる人・組織・国家だけが生き残る

こんな本、2022年4月の発売なので、割と新しめです。

OPEN(オープン):「開く」ことができる人・組織・国家だけが生き残る (NewsPicksパブリッシング), ヨハン・ノルベリ (著), 山形浩生 (翻訳), 森本正史 (翻訳)

Open: The Story of Human Progress, Johan Norberg

レイ・ダリオの著書で、オープンマインドが大事と言われていたので、気になって読んでみました。

PRINCIPLES(プリンシプルズ) 人生と仕事の原則 (日本経済新聞出版),レイ・ダリオ (著), 斎藤聖美 (翻訳)

"現金はゴミ"という名言をネタに使わせていただいていますが、仕事に対しての考え方も素晴らしい方です。 ブリッジウォーターというヘッジファンドに関する哲学を感じます。

kabu-motty.hatenablog.com

気づいたこと

6章 ゼロサム あたりから、面白くなってきます

「オレたちが貧しいのは誰かが搾取しているから」というゼロサム思考は、人類の本能。だが直感に反して、経済は「プラスサム」なのだ。

株式市場が基本的には全体的に見ればみんなで成長していくという世界なのですが、それに気づいていない人が多いんでしょうね。

私もかつてはそうでした。

シーゲル先生の、この本を読んで目を覚ましてもいいかもしれません。

自由についての記載も感じるところがあったので写経しておきます

これは、訳者の解説なんですが、非常にまっとうな解説と思いました。 本文がやたら長ったらしく感じてしまったので、これだけでいいんじゃないかと思ったくらいです。

 自由は素晴らしいーー自分のやりたいことである限りは。でも実際には、社会での自由というのは、自分が嫌いなものでも容認するということなのだ。言論の自由というのは、自分の嫌いな発言、聞きたくない発言でも認めるということだ。表現の自由というのは、あんな低俗なエロまんが、と思ったものでも認めるということだ。自分たちの嫌いなもの、なじみのないものをどこまで許容できるかが、文化や社会としてのオープン性を決める。
 するとおそらく大事なのは、ぼくたち一人一人が「あんなもの!」「そんなのダメ!」「規制しろ!」と言いたくなる気持ちを少し抑えることなのだろう。「あれはよくない」と言うのはかまわないけれど、「禁止しろ」「排除しろ」と言ってはいけないのだ。同時に、人にそういうことを言われたときに、安易に空気に流されず、無視したり抵抗したり、すっとぼけたりして、やりたいこと、やるべきことをとにかくやることだ。
 本書で分析されている、人間の身内びいきや仲間びいき、部外者不信、官僚制のことなかれ主義や懐古趣味といった特性は、どうにかしようと思っても、なかなかむずかしい。でも、そこから出てきた気持ちの表し方は、多少は変えられる。その積み重ねで少しずつ自分の許容範囲を人々が拡大すれば、それが社会のオープン性拡大だ。本書をきっかけに、少しでも多くの人がそれを認識して、実践してくれればーーそこまでいかなくても、そういうことができるのだ、ということを認識してくれれば、本書の元は十分にとれたと言えるのではないだろうか。

行動したこと

自分や自分が属する集団を贔屓目に見てしまうこと、あると思います。

ちょっと気をつけようかなと思います。

米国株投資を始めて、日本株偏重だったホームバイアス(この場合は日本カントリーバイアス)がとれたのは、自分がオープンになったからだと理解できました。

他にも色々なバイアスがありそうです。サラリーマンバイアス、業界バイアス、性別バイアス、地元バイアス、メロンパンバイアス。

自分に降りかかる痛みなどのマイナス感情の方よりも、他人にかかるそれを過小評価する傾向にあるようです。 そんなこと無いよねーと思いながら、以下の文章を読むと、なるほどと思いました。 子どもたちの喧嘩がヒートアップする理由が、ストンと理解できた瞬間でした。

ある興味深い実験で、被験者は右手人差し指で、別の被験者の左手人差し指につけたトランスジューサーを交互に押した。それぞれ、相手の参加者から受けた力とまったく同じ力を加えるよう命じられる。しかし彼らは常に相手が使った力を過大評価して、自分自身が使った力を過小評価するため、力はあっという間に大きくなる。交互に10回も押さないうちに、参加者はそれぞれ相手の指を最初の一押しの20倍近い力で押していた。
 子供が複数いる人なら、このシナリオにはなじみがあるはずだ。どっちも相手のほうが強くぶったと言うはずだ。この研究によれば、どっちの子供も本当のことを述べているつもりかもしれない。地政学テロリズムの世界はこんな単純な知覚認識からはほど遠いが、この偏りのある認識のために事態が制御不能に陥るのはすぐに想像がつく。「奴らが挑発したんだ、そうだろ?」。こっちはそれに応じた対応をしただけなのに、相手がいきなりキレたんだ。戦争してくれと言わんばかりに。その研究者が指摘したように、目には目をではなく、片目には両目を、ということだ。

まとめ

経済的自由の後の自由な世界では、より他者を受け入れる寛容さが必要になってくるんだろうなと思いました。

いろいろな意見を聞き流すこと。

自分の意見をまとめ、発信することを、継続していきたいという思いを強くしました。