感想OUTPUT:AI 2041 人工知能が変える20年後の未来 を読んだ感想

こんにちは、株もっちーです。

金曜日は、本などのINPUTした情報に対するOUTPUTをしていきたいと思います。

要するに読書感想文的な活動ですね。

読んだ本:AI 2041 人工知能が変える20年後の未来, カイフー・リー(李開復) (著), チェン・チウファン(陳楸帆) (著), 中原 尚哉 (翻訳)

気づいたこと

10個の短い小説で構成されていて面白かったです。

特に、ベーシックインカムや新しい貨幣について書かれたところが印象に残りました。

未来9 幸福論 より

マハディのアルゴリズムは人を幸福にしません。本人は認めませんが、わたくしは知っています。目的関数を最大化すると被験者は幸福のまわし車のなかで走るモルモットになってしまいます。走りつづけてどこへも行けない。

2041年の未来でAIによって最適化されるのは、アドレナリン・セロトニンドーパミンオキシトシンなんかのホルモンの量をパラメータとして調整するというような世界で、マズロー欲求段階説の下2段(生理と安全)程度のようです。

基礎的な欲求を満たすためにも、相応の努力というか苦しみも必要でしょうから、それが何もせずに与えられてしまうと、 こういう話になってくるかなと思いますね。

上記の最適化のためには身体情報も含めた個人情報をAIが処理できるように収集を許可する必要があるんですけど、解説にこんな記載がありました。

大事な個人データを第三者に預けるなどありえないという考え方に対しては、わたしたちは物理的な貴重品をしばしば安全な第三者に預けていることを思い出してほしい。自宅のタンスより銀行の貸し金庫のほうが安全という考えは理にかなっている。株券は証券会社に預けるし、ビットコインはインターネット上においている。個人データだけ例外ということはないだろう。

なんかにわかに信じがたいロジックですけどね。中国Googleの社長レベルの人がこんな考え方であると思うと、結構怖いです。

モノやお金といった人工的で資本主義的に交換勝ちがあるようなものを第三者に預けるのはそのほうが安全というより、そうすべき必然性があるからだろうと思います。

自分の行動履歴のような情報はどちらかというと水や空気などの自然の資源的なモノに近いと思うんですけどね。 それもやはり交換する価値のあって資本主義的に流通させる必然性がでてきてしまうと、好むと好まざるとにかかわらずそうなってきてしまいそうではあります。

未来10 豊穣の時代

更にこの物語では貨幣は「ムーラ」というものになっています。人の役に立つと相手から認められると増える仮想通貨のようなものです。 どうやって配布されているのかの詳細は不明。

2041年には再生可能エネルギーの普及によって電力なんかはBI(ベーシックインカム)で提供される世界となっているようです。

第1の要素は基本生活カード(BLC)だ。ベーシックインカム(BI)と似たものと考えてまちがいではないが、BLCのクレジットは基本的な需要と快適な生活のためのものにしか交換できない。食品、水、住居、エネルギー、交通、衣服、通信、医療、情報、娯楽にかぎられる。貨幣を配るBIとちがってこの制度は重要だ。なぜなら失業はアルコールや薬物の使用と強い関係があるからだ。

酒もタバコも必要ない私からしたら、十分すぎるような気もするんですけどね。働かないのかもしれない。

ただ、マズロー欲求段階説の下2段だけをまかなえるのがBLCだとしたら、その上段を賄っていく別の貨幣的なものが必要で、それは結局「ムーラ」でありいまの「いいね!」的なものなのかもしれません。

お金のため以外に、働く意味を見つけられるのだろうか。

こんなブログ書くくらいなら、お金もらわなくてもやるけどね。楽しいから。

でも、そんな時代になったら、経済的自由の探求なんて、誰もしないかもね。

「いいね!」争奪戦の世の中のほうが、それはそれで大格差社会になるとも考えられます。

行動したこと

色々書いたけど、どうも資本主義がなくなることはないんじゃないかと、勝手に思ってしまいます。

永遠のものはないから、いずれ変わるときは来るんでしょうけどね。

ダイヤモンドにしても原油にしても、独占的な企業たちが価格をコントロールしている今の世界では。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏のこんな本も紹介されていましたので、また読んでみたい。 サピエンス全史は面白かったので。

21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考, ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳)

まとめ

自分の子供時代とは様変わりした世界になっていることも確かなので、20年後はやっぱりぜんぜん違う世の中になっているだろうなとは思います。

方向性を見極めながら、このブログの進退も考えていきたいと思います。