Be financial freedom. 経済的自由の探求

お金に縛られない自由を求めて、お金を増やしていく過程を記録します。

考え方:本当の価値観

こんにちは、株もっちーです。

木曜日は、収入多角化チェックの日にしてみます。

KDP出版の収益化はまだまだ遠い

やはり10000ページくらい読まれないと、まともな収入にはならない感じでしょうかね。

気分転換に、なかなか読み応えがあった本を紹介します。

本当の価値観とは?

本当の価値観とは、あなたが人生でどのように行動したいのかを問い続けるプロセスです。自分の人生に足りない要素を補うのが目的ではありません。  この考え方がわかりづらいようなら、試しにこう自分に問いかけてみてください。 「もしすでに使いきれないほどの金を手に入れ、理想の仕事につき、毎日が幸福感に満ち溢れていて、誰からも尊敬されていたとしたら、私はどのように行動するだろうか? 自分や他者との関わり方はどう変わるだろうか?」  すべてが満ち足りた状態でもなお行動せずにはいられない物事こそが、あなたの心の底に眠る本当の価値観なのです。

そんな満ち足りた状況を想像するのは難しいですよね。もう少し噛み砕いた説明もありました。

「価値」と「目標」はどこが違うのか?  注意したいのは、自分の価値観を考えたつもりが、気づかずに人生の目標を書いてしまう人が多い点です。価値観と目標には、明確な違いがあります。  目標は未来に達成すべきゴールのことであり、いったんクリアすればそこで終わり。成功することがあれば、失敗することもあります。  しかし、価値はつねに現在のプロセスなので、どこまで行っても終わりはありませんし、成功も失敗も存在しません。「クリエイティブな仕事につく」は目標ですが、「クリエイティブな人間でいる」なら価値、「結婚する」は目標ですが、「好きな人と楽しく暮らす」なら価値になります。価値の裏づけがないと、目標は不安の原因になります。

「目的」と「手段」は意識するようにしていたのですが、「価値」と「目標」というのも混同しないようにしたいですね。

経済的自由の探求である経済的自由を具体化した金銭的な量は、目標なのだろうと思ます。

その後は、経済的自由の目標をクリアした状態を保ちつつ、家族とのんびりと生活する。

こうすると少し価値に近づくのかもしれません。

少なくとも、更に仕事しまくって、お金を増やし続けたいということはないのでしょう。足るを知りべしというのもあります。

未来に対する時間間隔が不安の要素になる

遠い未来ほど、不確実さが増す、ということが不安の要素だそうです。

その日暮らしの狩猟時代から、農耕の1年サイクル、工業化で更に先の未来を描けとか、先のことをあまり強く考えすぎるのは良くないなと思います。 年金とかもそうかもしれない。

不安の機能がわかったところで、あらためて最初の疑問にもどりましょう。すなわち、「現代の不安における遺伝のミスマッチとは?」の問題です。この謎を解かない限り、現代人の不調は改善されません。  この問いは、言いかえれば「私たちは何にそこまでおびえているのか?」ということでもあります。不安定な仕事、体調の衰え、金銭的な問題など、一見バラバラのように思える不安の原因には、どのような共通項があるのでしょうか?  その答えは、ひとことで言えば「未来の遠さ」です。  いつか体を壊すのではないか……、そのうち生活資金がなくなるのではないか……、やがて大地震で家がなくなるのではないか……。  どれも明日にでも起きる悲劇かもしれませんし、もしかしたら死ぬまで何もないかもしれませんが、いずれにせよただちに行動しなくても死ぬわけではないでしょう。  しかし、人類に備わった「不安」は、あくまで目の前に迫った危険への対策をうながすためのシステムです。

畏敬を感じること。 なんとなくありますね。海を見たり、雲を見たり、大木の時の流れを感じたり、お風呂でお湯の温かさを感じたり、 なかなか些細なことだと思っていましたが、「畏敬」という言葉を使うだけで、何かすごいもののような感じがしますね。

畏敬の念によって様々なメリットが得られるのには、ここでもやはり時間感覚が影響しています。  なにかに畏敬を感じると、私たちは自分の小ささを思い知らされ、より大きな存在の一部になったかのような感覚を得ます。森のなかにひとりでたたずむときや、壮大な音楽に没頭しているときなどにふと訪れる、あたかも自分と外部の境界があいまいになったかのような、あの独特な意識です。  すると、その時点で私たちの意識は、自然や芸術といった息の長い存在と一体化し、頭の中の時間感覚は未来と現在を永遠でパッケージしたような状態に変わります。永遠の時間には過去・現在・未来のすべてがふくまれるため、意識のなかではすべての時間が今になったのと変わりがありません。つまり、未来が今に近づいたわけです。

今の瞬間に、その状態に至る過去を想像するという感じでしょうか、ちょっとまだ言葉にしづらいのですが、そんな感じ。

まとめ

畏敬の念を、普段の生活の中でも感じ取っていきたいと思います。

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